原発事故、最悪の事態。未来永劫、福島県の一部が立ち入り禁止区域になってしまうのか。まさかこんな試練がこの国に、我々の世代に待っていようとは。大地震に大津波、いよいよ国家財政破綻も視界に入ったどころか目前にせまってきた。泣きっ面にハチ。もう一発何か来るじゃないかとういう不安もある。

しかしこうなってしまった以上、覚悟を決めるしかない。

山よりでかい獅子は出てこない

昔、政治家が窮地の場面で使っていたこの言葉。田中角栄総理の言葉として元秘書だった早坂茂三さんの著書にちょくちょく登場する。

早坂さんはこうも書いている。

「私が一番好きな言葉は『勇者、一人立つ時、最も強し』、山の向こうを見ても援兵来らず。このドス一本、胸にぶち込むことである。」

窮地における心得か。



季節来たれば、また花が咲く

被災された方々はそれまでしのげるだろうか。




実はここからが今日のブログのほんちゃん。

ボクは強いていえば浄土真宗(東本願寺)の門徒なのでクリスチャンの信仰についてあまり知らないのだけれども、山本七平さんがクリスチャンについてこんな説明を書き残している(※三代続いたプロテスタントで父親は牧師というとても厳格なキリスト教の家庭で育ち、確かあの内村鑑三とのつながりもあった人)。どの本のどこに書いてあったか残念ながら忘れてしまったが、だいたいこんな内容だった。

新聞かなにかのインタビューに答えて、キリスト教徒であるということはいったいどんな感覚なのかと問われて、
山本曰く、

要するに「すべて見られてる」って感覚ですよ。毛穴の一つ一つから髪の毛の一本一本まで。一年365日。

それでは落ち着かないでしょう?と問いかける記者にたいし、山本は続けて、

いや逆に落ち着くんです。全知全能、完全完璧な存在にそこまで見てもらっているのなら、いったい何を心配する必要があるのか。なにも心配する必要はない。

だいたいこんな感じの説明だった。親鸞聖人もビックリの、とてもじゃないが浄土真宗の門徒ごときにはとうてい理解のできない世界だけれども、信仰心の厚い西洋のキリスト教徒たちは、そういう意識をもって日々を暮らしているのかもしれない。信仰心の薄い人たちでさえその影響を大なり小なり受けているのだろう。

現代のような世俗化された世においても、若者たちは宗教をロックにして歌っている。Youtubeビデオをみてみるとその宗教ロックが軒並み数十万、数百万、数千万の視聴数を誇っている。若い人たちも神を称える曲に関心をもってる証拠だと思うが、日本でこういうことが起こりえようか。阿弥陀仏を歌った曲がサザンや宇多田ヒカルなみの視聴数をたたきだすなんてありえようか。心の世界、世界観、人生に対する認識、彼我の差を軽んじてはなるまい。

God is Great
http://www.youtube.com/watch?v=FfZOUVD46TI

With All I Am (By Hillsong)
http://www.youtube.com/watch?v=FMrAafe7Mns

クリスマス1

ボクが初めて口ずさめるようになった英語の曲はジョン・デンバーのCountry Roadsだったと思う。小学生だったか中学生になっていたか忘れてしまったけれども、雑誌の付録だった歌詞カードをみながら一生懸命記憶していたことはおぼえている。もちろんカタカナ英語でLとRを区別するなんてそんな気のきいたことはできていたはずがない。

John Denver - Country Roads (with lyrics)
http://www.youtube.com/watch?v=MWzeInQaUk4

なぜジョン・デンバーだったのか思い出せないが、そのとき記憶した歌詞自体は今でもおぼえている。名曲だからテレビやラジオでときどき耳にするからかもしれない。

英語の歌詞をおぼえてみるのも悪くないんで、なじみのある曲がないか探していたらB'zの曲をEric Martinという人が英語でカバーしているビデオがあったのでちょうどよかった。若い人ならなじみのある日本の曲だし、一応クリスマスつながりということでエリック・マーチン。あたりまえだが、ネイティブだから語尾の子音SとかGの音がきっちりとしていて、日本人歌手が英語の曲を歌うときの語尾が抜けるような音がない。子音を出すときの口の形がしっかりしているというべきか。

ERIC MARTIN - いつかのメリークリスマス
http://www.youtube.com/watch?v=AwzakAcx1B8


Every December the lights they shine so bright
Once again the celebration begins
Everywhere I go I feel the energy
they ignite these warm feelings within

Caught up in the rush of all my Christmas shopping
I'm searching for a special gift from me to you
Walking to the station I'm thinking of you
The day is done, now I'm on my way home

Always forever, just take hold of my hand
and I know that we will walk this path together
Shining so brightly for all the world to see
We can take all our dreams and make them reality
All that I treasure, all the things you give to me
All the stars in the heavens up above us
I know that they'll always live deep down inside me
Everything that I feel for you this Merry Christmas
たぶん中田君はマネがうまいはずだ。それに対しビデオに登場するもう一人の日本人男性、サッカー協会の小倉会長はおそらくマネがへた。へたというよりもマネしようという意識自体が希薄なのかもしれない。

外国語の世界でいうマネとは、

1.同じ文章や音声・ビデオを繰り返し読んだり聴いたりするレペティション

2.ディテールへの強い関心


の二つから成り立っている技術で、要するに彼ら(ネイティブ)をよく見る作業が基本になっていると思う。彼らの書いた文章であれ話し方であれ、よく見て特徴をつかんで自分でもやってみる。中田君はこれがわりとうまい。

(※「技術」ということばを便宜上使っているけれども、マネが上手な人と下手な人がいるので、マネにも何らかの技術があるのだろうというあいまいな意味合いでしかない。)
元サッカー日本代表の中田英寿と、作家の三島由紀夫の英語インタビューをYoutubeで見ていたのだけれど、中田君の英語はわれわれ学習者にとってちょうどいい目安になると思う。

文化人の語学力11 中田英寿
http://www.youtube.com/watch?v=bWEs0UKB0LU

語学の勉強をはじめたならば、学歴や年齢には関係なく誰でもここまではたどりつくべきという具体例としてぴったりだ。Toeicで800点以上とか、点数による目安のあらわし方も一つの方法ではあるけれども、要は中田君のようになれればいいわけだから、彼と自分を比べ、彼我の違いを見つけ、ギャップを埋めて、だいたい彼と同じようになればいいわけだ。

どうしてこんなことを書いているかというと、我々にとって語学の習得は、言い換えれば、

1.試験で点数を取る技術
2.ネイティブのマネをする技術
3.すでにある知識を使い切る技術


の3系統の技術から成り立っているのだけれども、特に2番目の「マネをする技術」に注目してみたいからだ。
久しぶりに宋文洲さんのTwitterをちらちら眺めていたら、北京の小学校での英語教育についてこう書かれていた。なかなか興味深い。

驚いたのは今日の英語の宿題: Write a 10 sentence fairytale.Create a main person,what that person does,...,how do they feel and what hapens at the end

これが小学校3年生の英語の宿題。昨年まで東京の小学校で教育を受けてきたのでもちろん英語も今から。でも、一所懸命辞書を使って、「強い」、「勇敢」、「優しい」、「幸せ」などを探している。

凄いのは韓国人の教育熱心。子供のクラスに韓国からの留学生が何人も居てお母さんが近所にアパートを借りて一緒に暮している(お父さんは違う国で働いている)。英語も中国語もぺらぺら。数学もよくできる。


この宿題を見ると先生はアメリカ人なんだろうと想像がつく。もしくは向こうで訓練を受けた中国人だろう。それにしても小3でこの課題。課題の内容を理解できるだけでもすごい。「昔々、お爺さんとお婆さんがいました。お爺さんは山に・・・」など昔話とかベッドタイム・リーディングの絵本を参考にすれば何がしかの物語は作れるだろうが、それにしても小学3年生。

韓国人の英語力が全体として急速に進歩しているらしいことはあちこちで耳にする話だし、台湾人の英語力は昔から有名。中国人の子供たちもこの通りがんばってるとなると、日本の小学生がちょっと心配になってくる。全体の2割、せめて1割の子たちでも習得を目指すようになってくれるとよいのだが。



シンガーソングライターの植村花菜(うえむらかな)さんの曲「トイレの神様」をはじめて聴いた。youtubeのビデオ再生回数からすると相当人気のある曲らしい。これはスピーチでも演説でもないが、音楽つきの物語という感じでアメリカのプロの話し手が使うstorytelling(物語による説得術)とまったく同じといっていい。話術ではないけれどもストーリー・テリングのとてもいいサンプルだと思う。


その内容は彼女の実体験に基づいており、祖母の思い出が物語のテーマとなっている。

おばあちゃんとの関係が良好だった日々。
おばあちゃんとの関係がうまくいかなくなった時期。
おばあちゃんと疎遠だった時期。
おばあちゃんの入院。
おばあちゃんとの再会と別れ。
後悔と感謝

もちろん歌の弾き語りとパブリック・スピーキングには違いもあって、パブリック・スピーキングでは、話し手は聴衆に何かをしてほしいわけだから話にはちゃんと「××をしてほしい」というメッセージがある。たとえば、この曲を前提にして考えれば「ずっと連絡を取っていない家族がいるなら久しぶりに連絡してみよう。手遅れになる前に」とか「感謝したい人がいるなら先延ばしせずに今すぐ伝えよう」などのメッセージが一般的だ。

ただそう言っただけでは人は動かない。北米のプロの話し手たちが何に心を砕き気を使っているか、何をいつも注意しているかを調べてみると、共通している課題は最終的にはただ一点。どうやって人を動かすのか。どうやって話の内容を記憶にとどめてもらい、どうやって実際に行動してもらうのかに尽きる。

・人生は短い

・いずれ別れが訪れる

・感謝を伝えるなら今のうち

・後でもっと優しくしてやればよかったと後悔する

・今やらなければ後で必ず後悔する

・喧嘩別れした親友は今どこに

・家族と仲直りするなら今のうち

・今すぐ電話をメールを

こいう箇条書きを骨子としたメッセージを力強く伝えるだけでは、人は納得し同意はしても実際の行動は起こさない。どんなにいい話であろうが、会場を後にするころには話の内容なんかもうほとんど忘れてしまっているのが普通だ。であるからこそ記憶に残させるために、そこにもう一つ仕掛けが必要で、そのためにプロたちはストーリー・テリングを使うという。

そのストーリー・テリングのテクニックは植村花菜さんの弾き語りと基本的には同じ。臨場感と感情移入。下のビデオを見てもらえばわかるとおり、知らず知らずのうちに孫の立場から曲を聴いているはず。おばあちゃんに感情移入してその立場から曲を聴く人はいないはず。



storytelling(物語による説得術)の効果

以上の観点からこの曲を聴いてもらえば、いい語り部による物語のパワフルな効果を実感してもらえると思う。さらに、記憶に残り忘れにくいとはどういうことなのか実際に確認してもらえると思う。

トイレの神様/植村花菜
http://www.youtube.com/watch?v=Z2VoEN1iooE&playnext_from=TL&videos=xlY16nT3Drc

こういう物語を聞かされて「だから今やらないでどうする」と迫られれば、そのメッセージの持つ影響力は、くどくどした箇条書きのメッセージのそれとは比べ物にならないほど大きくなる。

プロの話し手とは、結局、この曲と同じ効果を「しゃべり」で引き出せる人たちなわけだが、われわれも真似できる点はどんどん真似するほうがいい。



という質問にいろんな人が答えてますが、回答者が外国の人たちなので突拍子もない単語が出てきて面白い。笑える。

え~? わがまま?
http://www.youtube.com/watch?v=tXfH6mc4fFk&playnext_from=TL&videos=lWDcKVrNcIE


ビデオに出てきた中では「木漏れ日」はいい。イメージも音の響きも心地よい。

ぼくが好きな日本語といえば、電車や船舶の名称に使われている言葉をあげるかな。郷愁をそそるなんともいえない響きのあるものが多いと思う。

きりしま、あけぼの、つがる、みちのく、にちりん、うずしお、あかつき、ありあけ、ゆけむり、あさぎり、しなの、あかぎ

どれもこの国の美しい情景と結びつく。一つだけといわれれば「朝霧」を選ぶ。涼しげな響きがあるからだろうか。



そういう声がボクの頭の中にはつねにある。

英語の習得法について「ああしたほうがいい」「これはいい。あれはダメ」とかいつも書いているわけだから、自分自身で実践してみないわけにもいかない。お奨めの方法があるのなら、その方法で新しい外国語の一つや二つ習得できてしかるべき。

といっても一、二年で到達できるレベルの話ではない。かなりできるレベルというか、一部ネイティブをも上回れたと錯覚する程度まではなってみたい。となると5年、10年という単位の時間が必要になる。

10年というとかなり間のあく先の未来のようだけれども、誰にでも2015年、2020年はいずれやってくるのだから今から中国語をはじておこうと思う。そして2020年に振り返って、ちゃんとやれば語学はこんなにも身につくものなのかと進歩を実感できるようにしたい。その思いがあれば2020年という年が自分にとって特別で楽しみな年度にも思えてくる。

ただボクは今のところ中国語についてまったく何も知らないし、中国語を勉強したくてしかたないという心理状態でもない。だからやっぱり中国の歴史でも風俗文化でも何か興味を持てる対象を探り当てて、情報を集め、だんだんと中国かぶれになるように自分を仕向けていかなければならない。情熱を蓄え、その発露として中国語気分を味わうというふうに仕向けていかないとなかなか新しい言語に取り組もうという意欲はわいてこない。

しかしその点さえ誤らないようにして、中国かぶれの情熱を語学習得のために利用できるようにガイドできれば、結果はおのずからついてくる。あとは「好きだから得意」「得意だから好き」のチキン&エッグの良循環うまく入っていけばいい。

実際の学習法は人それぞれで、自分の性格に合ったやり方でいい。ある人は、一日10個の単語やフレーズを毎日コツコツとおぼえると決めて実行するだろう。そういう計画的なアプローチを得意とする人がいる一方で、ボクのように整然とした手法になじまない人もいる。大きな目標を分類整理し、さらに細かく日々の実行計画へと落とし込んで、いついつまでに何をやれば目標達成というようなやり方を不得意とする人だ。一日にこなす分量があらかじめ決まっていて、それを時間軸でつなぎ合わせ並べていくと5年後10年後には○○レベルに到達しているというような秩序あるやり方はボクにはあわない。

(つづく)


松田聖子 赤いスイートピー
http://www.youtube.com/watch?v=RfctrJRP7Tg
(※URL修正しました)

この歌はいい歌だと思うけれども「W」の音が気になってしょうがない。スイートピー(Sweet Pea)は日本語だからしかたないとしてもI will follow youは一応英語だからwillの「w」の音がないのが気になる。ささいなことだけれども意外と気になる音だ。

それに聖子ちゃんならずとも日本人はだいたい「W」の音は「L」「R」とおなじく不得意としていると思う。

The Free Dictionary - sweet
http://www.thefreedictionary.com/sweet

このリンクをたどるとオンライン辞書のsweetのページにたどりつくので、 そこでsweetの横にある国旗やスピーカーのアイコンをクリックすれば正しい発音を聞ける。

「イー」の前にかすかに聞こえる「W」の音が聞こえるかどうか試してみるといい。人によっては聴き取れないという場合もあるかもしれない。

口を「ヲ」の形にして、その状態から少し極端なくらいまで口の形を強調(お面の「ひょっとこ」みたいに)しながら「W」の音を出してやれば割ときれいなそれっぽい音になるはず。

それができればこんな単語の「W」音ももきれい出せるようになる。ちょっと極端すぎるくらい「W」音を強調してやるといい。日本人の場合それでちょうどいいくらいの音になると思う。

word
world
worship
warship
woman
swimming

外国語の習得には「~かぶれ」の傾向を持つ人のほうが、そうでない人に比べ有利であると書いたが、あれはそのほうが学習意欲が高まるからというモチベーションの話。

じつは「かぶれ」にはもう一つ大切な効用がある。

「かぶれ」の基本は相手方をよく見て、よく知って、マネすることだから、結果として、コミュニケーションの現場で無用なトラブルをできるだけ避けられる「かしこさ」を身につけることになる。するとその効用として、トラブルは得策でないと思える場面では相手に合わせてしまうとか、黙っておくとかして、上手にやり過ごしてしまえるようになるから、いざというとき無用なトラブル、損失、心労から自分を守れるようになる。

それができないとどうなるか。ホリエモンのメルマガに元横綱、朝青龍についてこう書いてある。


朝青龍は世間で言われているように「ワル」というわけではない。単なるやんちゃな20代の若者というのが素顔である。高校時代から日本に留学し、語学に堪能で日本語が上手い。普通の外国人横綱というのは日本語が不得手だから何を聞かれても「はい」はい」と答えるくらいしかできないが、朝青龍は全部理解して答えてしまう。その物言いが率直過ぎて周りの批判を浴びるのだ。あきらかに損をしている。また友人関係にも非常に熱く、私が知人と言い争いをしているときも間に入ってとりなしたりしてくれるように本当はいい奴なんだ。


朝青龍のケースでは、文化的なあつれき以上に、本人の個性に由来するあつれきのほうが問題を誘引していたかもしれない。文化なのか性格なのか、どちらがよりトラブルを引き起こしていたのかはっきりとはわからないが、彼に対する評価として、相撲に対する「リスペクト」が足りないとか、日本の伝統を軽視しているのではないかなどと指摘する声はあった。

この点、やはり朝青龍は少しかぶれ方が足りなかったのではないかと思える。十分な「かぶれ」があったならば、もっと上手に立ち振る舞うこともできたのではないかと思う。


その分かれ目はどこにあるのか。

その一つは「~かぶれになる」という心理状態を自分の中に持てるかどうか。

英語なら「アメリカかぶれ」「英国かぶれ」に、中国語や韓国語なら「中国かぶれ」や「韓流かぶれ」になる。彼らの外見や所作、考え方や物言いまで、ぜんぶ気分としてまねてみたいという強い願望とあこがれる心。その力を借りれば、文法も単語も人は必ずやりとげる。

語学を身につけようとすると、それにともないどうしても、もどかしさやつらさ、時間的拘束や頭の疲れなどがセットになって一緒についてくる。そんな大変で嫌な面を和らげる麻酔というか一種の麻薬的な効果を得る方法が、この「かぶれ」てしまう方法だ。

できる人たちの特徴を観察すれば、必ずこの「かぶれ」が共通項として浮かび上がってくるはず。なにも英語を習得している日本人だけでなく、日本語を流暢にあやつる外国人たちにも「日本かぶれ」をはっきりと見て取れるはずだ。

上下真っ赤なスーツとかバカっぽい派手なファッションで有名な田村議員だが、経済財政の話はまとも系でわかりやすくて面白い。

ひふみサロン(田村耕太郎参議院議員の講演)
http://www.ustream.tv/recorded/7195957

(※約50分間の講演ビデオなので話の骨子を書いておく)

日本にはまだ余力があるが残された時間は2年くらい

■財政破綻と厳しくなる国際競争

新興国の登場
英語教育
株価と地価の低迷
国債発行額
資産逃避
原発と新幹線
携帯電話
日本の技術者流出

■埋もれている日本の可能性

地方の中小企業
伝統工芸
温泉旅館のスタイル
日本酒と酒蔵
東京が面白い
鳥取
九州とアジア

■財政改善、競争力アップのための政策

スーパー特区
法人税と資産課税
払いたくなる税制


父が74歳でこの世を去って一年が過ぎた。先日、元プロレスラーのラッシャー木村さんが誤嚥性の肺炎で亡くなられたが、父も同じだった。

誤嚥(ごえん)とは、老化や脳の障害でのどの動きが鈍くなり食物と唾液が気管から肺へと入り込む現象で、それが炎症を引き起こし肺へと広がると誤嚥性肺炎となる。

検査や治療方法の整った今日であれば、肺炎なんか簡単に治せると考えがちだがそうはいかない。
肺炎は二、三度なら抗生物質で簡単に治るが、それを繰り返すうち耐性菌ができ最後は抗生物質が効かなくなり炎症を抑えられなくなってしまう。医療の発達した今日においても、お年寄りが肺炎でコロコロ亡くなるのはそういう事情があるからだ。うちの父の場合は、浴室で転倒し脳挫傷、寝たきりとなり、それから約3年、最後は唾液を飲み込めなくなり、肺炎をくりかえすようになって半年後、帰らぬ人となった。

会葬御礼の挨拶

さて、ここからが本題。べつに医療の話がしたいわけではない。なぜこの話を持ち出したかというと、父の葬儀の席で親族代表としてボクが会葬御礼の挨拶をしたわけだか、そのときに学んだことを書いておきたかったからだ。

学んだというと大げさに聞こえるが、ボクは人前で話をするコツをそのときにつかんだのだと思う。

そのコツとはシンプルではある。新しくもない。自分しか知らない話を、それを知りたがっている人たちに、臨場感が伝わるように話せばいい。鮮明に伝えられれば伝えられるほど聞き手をひきつけられる。ただそれだけ。当たり前のようだが、ボクがそれを体感できたのは葬儀場で挨拶をしたときだった。

そのときの話の様子をもう少しくわしく書いておこう。まず浴室での事故から三年間の経過を簡単に説明してから、一番のハイライトである最後の一日の様子を語りはじめた。以下、その一部を再現してみる。

◇ ◇ ◇



「ああ、どうもこんにちは。院長の荒木です」

白衣姿の男性が、ついでに立ち寄ったという感じでふらりと病室に入ってこられました。まだ若い先生で年は40前くらい、小柄でやせ型、小ぶりの眼鏡にボウボウ頭。およそ院長という貫禄はありませんでしたが、名札には確かに院長と書いてありました。

ごく簡単に父の状態をチックした後、ベッドのわきに立っていたボクと横並びになり、院長先生はこう切り出されました。

「御父様は肺炎の末期です」

治療を担当していた内科の先生からは「もしかすると終わりの始まりかもしれない」とは言われてましたが、ボクはそこまで状況が切迫しているとは思っていなかったので動揺をかくせませんでした。

「しかし先生、ここの数値に改善が見られるようならまだ望みの余地はあるんでしょ?」

「その数値はもう忘れてください」

即答でした。

「いや、しかし・・・」

「数値はもはや関係ないんです。御父様の今の状態は、もしかするとこの数値よりいいのかもしれません。しかし仮にそうであったとしても、もうダメなんです。患者さんの状態は数値で見るよりも、目の前にある姿で判断するのが一番正確にわかります」

落ち着きのあるやわらかな、医者らしい声色でした。

「これを見てください。あごだけで呼吸されてるでしょ。これが肺炎末期の典型的な姿です。こうなると一日もちません」

「・・・・」

「・・・・」

しばしの無言のあとこうたずねました。

「先生、明日の朝までもちますか?福山から叔母が来ることになってます」

「朝まではもたないでしょう」

「・・・・」

「・・・・」

動揺していたボクは大きく深呼吸して最後にお礼をいうので精一杯でした。

「先生、いろいろとお世話になりました」

「いえ」

うつむき加減に小さく首をふって、荒木院長は部屋をあとにされました。


「ああ、そうか。あれが最後だったんだ」

呼吸が弱まりはじめていた父の顔を下に見ながら、荒木院長が来られる少し前に婦長さんが父の様子をチェックしに来られたことを思い出しました。

ボクが状態をたずねると、

「よくはないですね」

そう言い残して婦長さんは部屋を出て行かれました。そのときは気づきませんでしたが、それが最後の確認だったわけです。そしてすべての報告を受けた上で院長がお出ましになったのですから、もはやわずかな望みも残されていないことは明らかでした。

すぐさま家族みんなに連絡を入れました。

「もしもし。もうダメだから。院長先生にそう言われたから」

「覚悟はできている」

みなそう言ってました。

父が旅立っていたったのはそれから約15時間後でした。午前4時42分、呼吸停止。心臓停止。最後は母に看取られながら、父は静かに74年の生涯に幕を下ろしました。

◇ ◇ ◇




このくだりを話しているときは、会場全体が静まり返って、みんな息をしてないじゃないかと思えるくらいだった。だれもピクリともしない。5秒の間をとっても大丈夫。その場の全員が次に出てくる一言をじっと待っているという感じだった。長い間(ま)をおくと聴衆は次に出てくる言葉にひきつけられる。テクニックとしては知ってたけれども、その効果をひしひしと体感できたのはこのときがはじめてだった。

この部分はそれまで家族にも話してなかった病院でのやり取りで、しかも自分たちがよく知る人の人生最後の一日の話でもあり、さらには会場の独特の雰囲気があいまって、みな食い入るように聞き入っても当然といえば当然だった。けれども人前で話をする一番のコツは、間違いなくこの経験の中にあると思う。



大勢の人に自分の主張を訴えかけて支持を得ようとする場合、もっとも効果的な手法は、聞いてる人の頭の中で映像が流れだすような物語調の語り(感情移入しやすく記憶に残りやすい)だとよく言われる。これは世の東西、言語、文化、宗教の違いに関係なく、スピーチの専門家たちがみな異口同音にみとめる原則で、英語の世界であれ、日本語の世界であれ、違いはない。

(※慰安婦公聴会のときも、元慰安婦たちはこの原則をとても効果的に利用し日本政府を敗北させたし、先日のトヨタ公聴会のときも、被害者とされる人たちはこの原則を自分たちの主張が有利になるようにうまく使っていた)

その原則を再確認させてくれるビデオがある。

2010/5/11衆院農林水産委・江藤拓(自由民主党・無所属の会)口蹄疫vol1
http://www.youtube.com/watch?v=jfdrMksMMD8&feature=related
2010/5/11衆院農林水産委・江藤拓(自由民主党・無所属の会)口蹄疫vol2
http://www.youtube.com/watch?v=_qE64jc0LpM&feature=related


いま宮崎で猛威をふるっている口蹄疫(Foot-and-mouth disease)への対処方法をめぐって、自民党の江藤議員と、赤松農水大臣とが国会の委員会でやり取りをしているビデオで、二人の対照的な語り口が映し出されている。

見所は、Vol.1の8:15秒からVol.2の4:23秒までの、江藤議員が効果的に物語を使いながら自分の主張を強烈に印象付けているシーンだろう。それに対し、赤松大臣のほうは、ダラダラと言い訳をしているようにしか見えない。(※どちらの主張が正しいかという話ではなくて、あくまでもどう見えているかという話)

ついでに言っておくと、江藤議員のほうは両方の手のひらを終始胸の高さまで上げているのに対し、赤松大臣はつねに手を下げている。両手を胸まで上げて話をすると、力強さを聞き手に印象付ける効果がある。

このビデオを見れば、あたかも農水省さえ適切に対応していれば口蹄疫の拡散は防ぐことができた(すなわち農水省側にミスがあった)かのような印象を受ける。だが真実はわからない。実際そうだったかもしれないし、どのみち拡散は防げなかったのかもしれない。

しかし印象としては赤松大臣の負けである。

大臣側ももう少し農水省職員たちの努力やガンバリが伝わるように、現場のまじめな担当官たちが何を心配し、何を考え、何をしていたのか、具体的にわかるような物語を語っていれば、世の中には賢明に対処しても救えない命もあるということで、印象レベルにおいてタイに持ち込むことはできたと思う。


ノンネイティブといっても今回は日本人のことではなくヨーロッパ系の人たちの話。英語を母国語としないヨーロッパの人たちは日本人の英語をどの程度理解できているのか。その程度の一端をうかがわせるビデオがある。

ダボス経済フォーラムに出席中の竹中平蔵さんが、世界経済の動向についてコメントを求められ、英語で答えているのだが、そのビデオをスイスに住んでる人(たぶん)が編集してYoutubeにアップしている。

Heizo Takenaka joins the Davos Debates
http://www.youtube.com/watch?v=WhASE3V3olw&playnext_from=TL&videos=uThByER301o

このビデオを見て気になるのは、ビデオ画面下部に字幕があり何度も[inaudible](聞き取れない)という表示が出てくる点だ。その聞きとれなかった割合(聞きまちがいを含む)からすると、このビデオを編集した人は竹中さんの話をほとんど理解できなかったに違いない。

英語力に問題があるのなら聴き取れなくても不思議ではないが、この編集者のリスニング能力にはなんの問題もなさそうだ。竹中さん以外のビデオの字幕を見るとちゃんと聴き取れているからそうわかる。

となると竹中さんのほうに問題があるのだろうか。たしかに竹中さんの発音・リズムには少し癖があって、日本人の中でも英語を得意とする人とくらべるといくぶん見劣りはするものの、十分理解できる範囲内にはあると思う。実際、ボクは問題なくすべて聴き取れる。しかしビデオを編集したスイス人には半分しか伝わっていない。その点はちゃんと見て取るべきだ。

そして、竹中さんの問題は竹中さん自身が解決するとして、このビデオを見ているわれわれは何を学ぶべきか。

このビデオからは、どういうペースで、どんな話し方(発音とリズム)をするとヨーロッパ系の人とって英語が聴き取りにくくなるのかを学び取るべきだ。英米人以外の人と話すときは、相手の理解に十分に配慮しながら話をしなければならない点も記憶にとどめておきたい。

以下、竹中さんのビデオより

Well this year the economy [inaudible] global economy would be around 1 or2%, very low.

Especially at growth rates of the major [inaudible]. Also in the case of Japan we expect a small

2% gross. So the government is expecting flat growth [inaudible]. But anyway this year we

have very serious illustration. But beyond that we'll be able to see some sign on recovery.

So therefore the government especially not that the economy [inaudible]. At the same

time we expect a lot due to good governance and good policy by government in the United States.

This should have a very good impact on the global economy. Thank you.

(※太字の単語・フレーズは聴き取りミスをあらわす)


「大前研一ライブ」より
『日本国債デフォルトの可能性とその対策』(PC用動画6分間)
http://k.d.combzmail.jp/t/gxe6/90ha59w0mgxaz9e4zn

ビデオの要旨

ヘッジファンド等が日本デフォルトを前提とした商品を出し始め、いよいよデフォルトが現実味をおびはじめた。

何が起こるのか?

日本の場合、国債のデフォルトが起こると手をつけられない状態になる。銀行、生保、郵貯の裏はすべて国債、表は国民の預金で、表と裏がつながっており、国家も民間も国民預金も破綻するときはすべて同時に一挙に行く。前代未聞の状態になる。

ゆえにペイオフなどありえない。

国民の預金はすべて凍結(預金封鎖)。半分は召し上げ。

国家予算は半減。

消費税はいきなり20パーセント越え。

公務員半減。教員の給与半減。

ゼネストがおこり社会機能ストップ、国の中は騒然となる。

ギリシャ程度の規模で政府は機能しなくなっている。日本の場合くらべものにならない規模。

(ビデオの要旨ここまで)


******************

最近よく聞く俗説に、

日本は外国とちがって海外には借金はないのだから大丈夫(すなわち信用不安は起こらないし、外から売り浴びせられて債務不履行(デフォルト)に陥ることもない)

という話があるが、大前研一氏のほかのビデオによると、

実は海外の投資家も40数兆円ほど日本の国債を所有しており、信用不安からこの40兆円を売り浴びせられれば、突然、日本の国債が暴落する可能性は十分にあるそうだ。これまで国債のほとんどを引き受けてきた銀行、生保、郵貯も国債を抱えていられなくなるからだ。

この点も上のビデオとあわせて考慮し、いつ何が起こってもおかしくはないという腹づもりが必要だ。

そもそもどうして日本の金融機関は大量の国債を抱えているのか。

バブル後の長引く景気低迷のおかげで時代は超低金利。金融機関は国債さえ買っておけば、その利ざやだけで十分稼ぐことができたから。

預金者には金利を払う必要がなく、国からは国債の利払い分が入ってくる。銀行は投資のリスクをとらず楽して稼ぐことができたわけだ。財務省も市場の資金を必要なだけ吸い上げることができ税収不足の穴を埋めることができた。そんな時代を背景とした特殊な経済構造があったために日本の金融機関は大量の国債を保有するにいたっている。

******************

スーパーマンはいないのか

バブル崩壊以前なら、現在のように深刻な問題に直面していても常に国家を信頼していられた。なぜならこの国にはスーパーマンがいたからだ。

スーパーマン?スーパーマンなんていたはずがない。今二十代の人たちは笑うだろう。しかし日ノ本にはたしかにスーパーマンがいたのである。

そのスーパーマンはこの国のどこかの高校を学年トップで卒業し、全国の成績優秀者たちと競い合い、勝利し、東大法学部へと進学する。そこで少数に絞り込まれた成績最優秀者たちとさらに競い合い、首席クラスとして勝ち抜いた人だけが大蔵省官僚となれた。官僚の中の官僚とよばれ、彼ら自身、大蔵以外は落ちこぼれ官僚といってはばからなかった人たちだ。真の勝ち抜き野郎たちといっていい。しかし競走はそこで終わらず、「真の勝ち抜き野郎」たちの中でさらに競い合い、勝利した者が最終的な勝ち抜き野郎として登場する。これがスーパーマン。日本国の国家財政の事実上の責任者、大蔵省主計局長その人である。

どんな複雑怪奇な問題でも解決できる人。世界でも最優秀クラスの知能を備えた人。それが主計局長。権威そのもの。下々のものにはうかがい知れない世界の住人。戦後の奇跡の経済成長を導いてきた人。

この国がどんな困難に直面しても、スーパーマンたちがなんとかしてくれるにちがいない。みなそう思っていた。少なくともボクは心のどこかでうっすらとそう信じていた。

ところがバブル崩壊後10年たっても国民経済は回復せず、だれも有効な解決策を処方できなかった。それからさらに10年がすぎ、もはやこの国にはみなが仰ぎ見る、頼れる権威は存在しない。東大・京大も、自民党も、そして、むかしは光り輝き、絶大なる威光を放っていた旧大蔵省もかつての権威をなくしてしまっている。もはや頼れる司令塔はない。

あのスーパーマンたちはどこへ行ってしまったのだろうか。

今後われわれが直面するであろう日本国の財政破綻・債務不履行について考えていたら、ふとこの国にスーパーマンがいたあの時代を思い出し、すこしセピア色しかけた懐かしい記憶がよみがえってきた。



「勝間 vs ひろゆき」のYoutubeビデオがネット上で話題となっていたので、遅ればせながら一言。
(※どうせすぐ削除されてしまうのでビデオへのリンクは省略)

検索してみると、あのビデオを視聴した多くの人が「勝間の負け」と見ていることがうかがえる。しかも「完敗」「フルボッコ」「ひろゆき圧勝」などと論評され、勝間の負けっぷりがしきりと強調されている。

でもなぜ完敗なのか。匿名の是非という結論の出にくいトピックであるにもかかわらず、どうして多くの人が迷うことなく西村の一方的な勝利と判断できたのか。なぜそういう印象(錯覚)になってしまったのか。

一言でいえば、ボディーランゲージの違いが二人の明暗を分けたのである。

西村の受け答えは終始スムーズで言葉につまることもなく、彼の表情には余裕すらただよっていたのにたいし、勝間の表情と声色からは常にイライラとあせりを読み取ることができた。人はたとえ話の内容がわからなくても、この違いを見逃すことはない。

前にも書いたと思うが、人の発言には常に二系統のメッセージが備わっている。一つは語られる内容。もう一つがボディーランゲージ。その二つのメッセージに齟齬(そご)がある場合、聞き手はボディーランゲージのほうを百パーセント信用する。例外はない。かよわい小声で震えながら「自信がある」といっても誰もその言葉を信じはしない。自動的に「自信がないのだ」と判断されてしまう。

あのビデオを見ると、勝間のボディーランゲージからは「議論に押されている」という印象しか伝わってこない。視聴者にまで伝わってくるイライラと緊張、余裕のなさは致命的だった。最後までその調子で、彼女の主張など視聴者にはもはやどうでもよかった。

一方、西村サイドに目を転じてみるとどうだろうか。彼の言葉だけを見れば、積極的に匿名を薦めているわけでもなく、ベンチャー起業や幸福感などのトピックについても、ただたんに現状を受け入れているだけで特段の意見(~しなければならない)を持っているわけではない。にもかかわらずネットにおける彼への評価はすこぶる高い。ひとえに彼のボディーランゲージの効果である。余裕と自信と確信を、声と表情で表現できていたからだ。

この二人の両極端なボディーランゲージが合わさった結果、「フルボッコ」「完敗」という極端な印象(錯覚)を視聴者に与えてしまったのである。


世の中には知恵のはたらく人がいるもので、アダルトなビデオの世界では有名な村西とおる監督のブログでこういう話が紹介されていた。



知り合いの映画プロデューサー氏から聞いた話でございます。

ある映画の撮影で俳優の三國連太郎氏が相手の男の役者を殴るシーンで「ここはリアリズムを追求したいので、実際に相手を思い切り殴らせて欲しい」との「悪望」を出されたそうでございます。

監督は「その必要はありません、ここは殴るフリで結構です」と三國連太郎氏の意見を受け入れることはありませんでした。が三國連太郎氏は自からの主演作品のそのクライマックスのシーンへの思い入れがことのほか強く「どうしても」とその演技プランの「主張」を撤回することがなかったのであります。

<中略>

翌日監督は脚本家と相談して書き直した新しい台本を持って撮影現場に現れました。

その台本にはそれまでなかった三國連太郎氏に殴られた相手の男の役者が逆に三國氏に殴りかかるシーンが書き加えられてありました。

その台本を見た三國氏はポツリと一言「昨日の台本の通りで結構です」と申されたそうでございます。



これは、相手が強固に主張する理屈を、その人自身に当てはめたらどうなるのかという「おまえが先にやれ」式の古典的逆襲テクニックだが、これほどすっきり爽快、みごとにきまった事例はあまりないだろう。この話を読んでから、三國さんの立場からなんとか言い逃れる方法はないかと考えてはいるが見つからない。三國さんがすばやく観念したのは得策だった。



一橋大の石倉洋子教授(国際企業戦略研究科)のブログを読んでいたら、ちょっと気になる記述があった。

経済のグローバル化という文脈における日本企業の抱える問題点がいくつかあげられていて、例えば、

1.組織が多国籍化していない
2.アジア、アフリカ、中南米などこれから成長する地域における現場感覚がない

など大企業が直面する問題に言及してある。それはその通りだとして、気になったのはその次の一言。

「そういっているうちに、私自身も、今世界の成長を担っているアジアには住んだことがないし、現場を知っているわけでもないことに、自分でも愕然としてしまいました。」

この日本・日本人をアジアから、つい除外してしまう感覚は石倉教授だけではなく多くの日本人の心の中にも宿っていると思う。とうぜんボクの中にもある。

その感覚を、むかしある白人男性に指摘されたことがある。「アジアといえばどの国を思い浮かべるか」と問われたので、ボクは迷わず「中国」と答えたわけだが、その答えを聞いてその男性はやっぱりという顔をして見せた。この質問に対して「日本」と答える日本人はいないというのがそれまでの彼の経験だったわけだ。

日本をアジアから除外する意図をもって「中国」と答えたわけではなかったと思うが、自分の中にその感覚がまったくなかったともいえない。

その「日本とアジア」という感覚は、もはやわれわれの不利にしか働かないのだから、できるだけ早く取り除いておくほうがいい。ボクを含め西洋偏重の考え方に慣れている人は特にそうだ。

日本・日本人を除外したアジアではなく、われわれを含めたアジアという見方に慣れて、その上で「自分たちも含めたアジア」そしてその未来についてもっと語れるようにならなければ、今度は向こうから除外されてしまう可能性は大いにある。

ちなみに石倉教授はこの女性(ちょうど3分00秒から)
Dalian 2009 - The New Champions of Competitiveness
http://www.youtube.com/watch?v=D88VmBe9o7Y&playnext_from=TL&videos=X2BxrkTuV_s
これで大学三年まで海外経験がなかったというから驚きだが、トークに余裕が感じられず一杯一杯さが伝わってくる。個人的には石倉教授のワーワーワー式の話し方ではなく、大前研一式のゆったりとした、余裕を感じさせながら、聴衆に聞かせる話し方のほうが好みではある。もちろん大前さんは2時間くらい英語でしゃべって4百万円の料金を取るわけだから、話がうまいのはあたりまえなのだが。

駅を出た佐藤健一は家路を急いでいた。いつもの道、いつもの自動販売機、いつもの赤提灯の前をとおり、途中、大声でさわいでいる学生の集団に出くわした以外はすべていつもどおりだった。
帰宅したときにはすでに夜八時をすぎており、テレビでは歌番組をやっていたが興味はなかった。

妻が冷めた夕食を温めなおしている間ちょっとだけ調べてみようと思い、自分の部屋のパソコンでインターネットを立ち上げた。さっきの英語フレーズをカタカタと打ち込み検索してみると、似たような言い回しがザクザクと現れてきた。

ひとくちに「コンパクトだ」といってもいろいろあって、どんなコンパクトさかわからないわけか。

健一はネクタイをはずしながら一人でつぶやいた。

It is compact in design
It is compact in appearance
It is compact in volume
It is compact in storage
It is compact in structure
It is compact in form, methodical in arrangement
It is compact in construction, and versatile in application

だから、コンパクトという意味により細かくきざみを入れて、「見た目が」コンパクト、「デザインが」コンパクト、「分量が」コンパクトなど一々いいわけてあるわけだ。とするとキーワードを選んで、その単語の意味合いをより細かく限定する方法を考えてやればいいわけだ。しかも前置詞プラス名詞の型がかっこいい。そこに意識を集中させおけば自分の英語ももう少しかっこよくなるかも知れない。

そう思いながらモニターをのぞきこんでいると別の言い回しが目についた。

Do you prefer to travel by car or train, or by car and train in combination

ああ、これもおなじだ。これも今までの自分なら

Do you prefer to travel by car or train, or by car and train?

というのが精一杯だっただろう。いわれてみれば確かにin combinationと「もう一言」を付け加えておく方が意味合いはクリアになるし、by both car and trainなんていうよりリズムもいいし、知的で分析的な響きになる。しかし話の流れの中で思いつけるだろうか。そんな余裕はないようなあるような。

それにしてもなんとメカニカルな響きだろう。よくいえば正確で、分析的。前々から良きにつけ悪しきにつけ英語にはそういう面があると頭のどこかで感じてはいたが、今は特にそう感じる。

そう思いかけたとき妻の声が聞こえてきた。
「何してるの、できてるわよ。さっさと食べてよ。」
聞きなれたいつもの無造作な声色だった。

自動車部品メーカーに勤める佐藤さんは長年コツコツと英語を勉強してきたおかげで、徐々に英語ができるようになり、今では最低限の会話には困らないまでになった。

"Our product is compact and light. It's really great. We are proud of it. What do you think of our new product?"

商談に訪れた海外からの顧客からも、キミの英語はわかりやすいと褒められたことも一度や二度ではない。

ところが、最低限の会話はこなせるようになったものの、なかなかそれ以上にはならないという悩みもかかえている。話題の参考書にも目をとおしてみたり、単語や熟語をおぼえたりと今でもかかさず英語の勉強は続けている。にもかかわらず最近では、以前感じていていた進歩をまったく感じないし、実際、何の変化もなく伸び悩んでいるとしか思えない。最低限の英会話はクリアできるのだが、そのレベルから抜け出せそうにないばかりか、その糸口さえ見つかりそうにない。

それならばと奮起して英語で日記をつけてはみたが、やはり箇条書きみたいな短文しか思いつかない。しかもいつも同じようなパターンのくりかえし。内容もつまらないほど単純でもう一つ何か足りない。英語らしさというか、それらしさがまったくない。

英語なんかしょせんは道具にすぎないのだから、通じさえすればそれで十分じゃないか。ぜんぜんできなかった昔に比べれば、かなりできるようになったうちだ。上を見ればきりがない。

そう思う一方で、自分の英会話のぎこちなさだけはヒシヒシと感じている。できるようになったとはいえ単純な内容をあつかうのが精一杯で、込み入った話となると逃げ出したくなってくる。やはりできればもう少しうまくなれたらとは思うし、もう少し気の利いたこともいえるようになりたいとも思う。もう少し複雑な説明もできるようになりたいし、もっとかっこいい、雰囲気のある英語を使えるようになりたい。

しかしいざそうしようとチャレンジしてみると頭の中は真っ白になり、口をついて出てくるのはいつもの短めの文。いつもの単語に、いつものパターンで精一杯。余裕はない。いったい何をどうしたらいいのか見当すらつかない。

日々の忙しさにかまけ、英語については、あきらめ半分、望み半分ですごしていた佐藤さんに転機がおとずれたのは帰宅途中の電車の中だった。英語の練習のためにいつも読んでいる雑誌のページをめくっていると、ふだんは気にもとめないような何の変哲もないセンテンスで目がとまった。

It is compact in size, light in weight.

その瞬間、美しいと感じた。かっこいい表現だと感じた。たった一言 in size と in weight を付け加えるだけでこんなにも印象が変わるものなのか。なんと知的で分析的な表現か。

It is compact and light.

今までそういうのが精一杯だったが、もう一言だけ付け加えればいいのではないか。あと一言くらいなら自分にも何とかできはしまいか。あと一言だけなら。なにかひらめいたような気がした。


おにぎり君というカナダ在住のベトナム人の方が日本語の歌を歌っている。竹内まりやの「駅」という曲でオジサン・オバサンには人気のある歌だ。かなりうまい。というよりも驚くほど上手。コメント欄を読んではじめて彼が外国人だとわかったくらい。もちろん、ベトナム人といっても日本生まれであればこれくらいはあたりまえなのだが、よくよく聴いてみるとたしかに発音があやふやだったり完全な間違いであったりと外国人の特徴も見受けられる。「戻っていくのね気づきもせずに」が「気づくもせずに」など日本生まれであればありえない間違いだ。

しかしこの間違いこそが彼のすごさを証明している。日本生まれでないということは、彼は後天的に日本語を身につけたわけで、それでここまでなれるものなのかという、ボクの中ではありえない(はずだった)レベルの完成度を彼の歌は示している。これは彼の才能なのか、やりようなのか。世の中いろいろいるものだなと思った。

駅 カバーバージョン
http://www.youtube.com/watch?v=hcc4AqeuJFw&playnext_from=TL&videos=X3gC-__N-DY



これはひどい。でもおもしろい。人気政治評論家のグレン・ベックが主催する保守系ラジオ番組に、真っ向から対立するリベラル系と思われる女性視聴者が電話をかけてきたときの会話。ビデオの最初に出てくる男性はべつのトークショー・ホストでこのビデオクリップの解説をしている。

Glenn Beck Loses His Mind On A Caller About Healthcare
http://www.youtube.com/watch?v=YA7-BvVDV10

これは先日成立した医療保険改革法案についてのやりとりで、お互いの意見をいい合っているうちにホストのグレン・ベックが激高してとりみだしてしまう。だが女性視聴者も負けてはいない。大声を出されてもおじけづくこのなく法案賛成の立場を主張しつづける。

二人のやり取りはそれ自体こっけいでおもしろいのだが、それだけではなく英語学習者にとっては学ぶべき点も含まれている。

(3分14秒から)

キャシー: I'm asking you a logical question.

グレン: I'm giving you a logical answer.

キャシー: You don't have logic. Where is your logic? What would you do?
I'm asking you. What would you do to change the healthcare system for the better?

この太字でハイライトしたセンテンスなんか特にいい。なかなかこういう切り返しは思いつかない。やはり英語を知るはネイティブにしくはなし。ボクもチャンスがあればどこかでいい放ってみようと思う。

このビデオを見ればわかるように、ふだんからネイティブたちのやり取りをたくさん見て、よくよく観察し、できるだけ多くのパターンを疑似体験しておかないと、こういう状況にはとてもじゃないが即興では対応できない。いわれるがまま、なされるがまま押し切られてしまう。残念ながらどんなに単語や文法の細部に精通しても、さまざまな状況に対応できるキャパが発達するわけではない。外国語でのコミュニケーションがうまくいかないのはそのためだ。


ラス・ピーターソンはヒューストンの企業から、あるプロジェクトについて相談を受けた。喜びいさんで見積書を片手に出向いてみると、待ち受けていた担当者に無理難題を持ちかけられた。難題とは、だれがやっても導入に二ヶ月はかかるオンライン物流管理システムを、二週間以内に完成させてほしいとの要請だった。

「できるかできないか、今この場で答えてほしい」

もちろん仕事はほしい。しかしここで安うけあいをして、突貫工事でなんとか期限に間に合わせても、品質の問題がでてくるのは目に見えている。そうなれば仕事の依頼は二度と来ないだろう。自分より先によばれた同業他社は、二週間でできるかもしれないと返答したらしい。さあ、どうすべきか。

即答を求められたピーターソンは、しばし考えこう切り出した。

「差し支えなければ、なぜ二週間以内に必要なのか教えていただけませんか?」

即答をもとめる担当者と話をしているうちに、少しずつその理由がわかってきた。ある重役が取締役会の席で、次の取締役会までに物流管理システムを立ち上げると約束していたのである。それが二週間後なのだ。

それならばと、ピーターソンは提案する。

「二週間での完成は無理ですが、代わりにこうしてみてはいかがでしょう。十日以内に、われわれはシステムのインフラ部分だけを急いで仕上げる。あとは貴社のスタッフを動員してソフトウェアを組み込み、試作システムとして次の取締役会で部分的にデモをしてみせる。その間われわれは正式版の作業を続け、二ヶ月後にはシステムを完成させる。」

この案を担当者は気に入り、ラス・ピーターソンは競合他社をおさえ業務の受注に成功した。

的確な質問を、適切なタイミングで切り出せるかどうかが英語での説得のカギ。

「面白い話をするのではない。面白そうに話をするのだ。『やってみたい』と思わせなければダメ。」

と著名な講演家がどこかでいっていたが、その意味では次のリンク先のリチャードさんは面白そうに日本語を話す人である。ビデオの内容は英語の学習法についてのアドバイスだ。

英語ぺらぺら裏技: GenkiEnglish.com
http://www.youtube.com/watch?v=kiceYymknnk

彼のいう裏技はたいしたアイディアではないし新しくもない。もちろんこれでペラペラになれるわけはないが、なんとなくやってみようかという気にはなる。もしボクが中国語をはじめるならこの方法を使ってみるかもしれない。

次に、話し方の比較のために、日本語にとても堪能だが少しおとなしめなヒコザエモンさんのビデオをみてみよう。内容は同じく英語学習についてのアドバイス。

英語を早く上達する秘密な技 How to Improve Your English FAST!
http://www.youtube.com/watch?v=qgt-x0sJ7rs

さて、ここからが今日のメインポイントになる。

二つのビデオを見比べればわかるとおり、単純に日本語の技量を比較するなら後者のヒコザエモンさんの方がだんぜん完成度は高い。しかし興味を持たせる話し方としてはどうだろうか。おとなしめで淡々としたヒコザエモンさんよりも、最初に登場したダイナミックで面白そうに話をするリチャードさんのほうに軍配が上がる。

つまり、語学的に完成度が高くても人を動かす話し方ができるとはかぎらないし、逆に完成度は低くても話し方しだいでは人をやる気にさせ動かすことができる。だから英語学習者であるボクもあなたも、語学としての完成度ではネイティブたちに遠くおよばなくても、話し方を工夫したり、説得力のある話し方を学んだりすることでネイティブ・スピーカーたちを超えることは可能なのである。


長年の疑問がやっと解けたように思う。アメリカ人の声は太く日本人の声は細い。そういう印象を常に持っていたけれどもその理由はわからなかった。上半身の骨格がちがうしスカルの形もちがうから当然かなと思う反面、日系の人たちの声も太いので体格が原因でもなさそうだとは思っていた。
重要なちがいとも思っていなかったのでたいして気にはしていなかったのだが、たまたま見たビデオでその答えが解説されていた。

竹村和浩さん:英語発音の極意
http://www.youtube.com/watch?v=luTTqa8EUQ8

ちがいは喉の使い方にあるらしい。竹村さんによると日本語の母音は喉を絞めて発声するのにたいし、英語では母音も子音も喉を開いて発声するので声を出すときには常に喉の奥を開いておくのだそうだ。ためしに喉を開いて英語を発声してみると、たしかにアメリカ人風の声に聞こえる。

参考までに日系アメリカンの人たち声を聴いてみるとよくわかる。皆さん声が太い。

Ken Miura: USC Professor who taught George Lucas
http://www.youtube.com/watch?v=QZs78rWxvxs
Judge Vincent Okamoto: Genesis of The Memorial
http://www.youtube.com/watch?v=T-QlM1uAxFA
George Takei - Archive Interview Part 1 of 6
http://www.youtube.com/watch?v=xrgj_a3o5r0

ついでながら、この三者の表情を見比べてみるのもおもしろい。ミウラさんは音声を切ってその表情だけを見ていると、アメリカ人とは思えないほど日本人男性の表情とかわらない。ご両親がアメリカに移住した後も生活態度をまったく変えなかったのだろう。その影響が色ごく残っているのだと思う。

ミウラさんの対極にあるのが俳優のタケイさんだ(スタートレックで有名)。その表情からわかるようにアジア系のマスクにしては不自然なほどアメリカンである。いわゆるFrom ear to earの典型的アメリカン・スマイルで、そのはでな表情には日本のなごりはまったく感じられない。アメリカ社会に同化するために、アメリカ人以上にアメリカ風を強調してきたためであろう。日系二世の世代にはそういう「意識的アメリカ人」が多いと聞く。日系の人たちが「無意識で」どうしようもないほどアメリカ人になったのはタケイさんたちの次の世代からだ。

今から11年前、1999年3月に経営危機にあえいでいた日産自動車は資本提携というかたちでヨーロッパ最大の自動車メーカー、ルノー(フランス)の傘下に入った。その結果もたらされた日産社内の変化を、NHKが英語という視点から取材し、提携から約一年半が過ぎた2000年10月にスペシャル・レポートとして放送している。

NHKスペシャル 英語が会社にやってきた(5of6)
http://www.youtube.com/watch?v=zVKtchLcLpg

このビデオの冒頭で、フランス人との話し合い、交渉において彼らをいかに説得するかについて、ヨーロッパでのビジネスを担当してきた日産の蔵隅(くらすみ)さんはこう述べている。

要約すると、

フランス人(ヨーロッパ人全般)は他人の見解や意見を認めることはない。自分の意見こそが正しいと信じており、他人の意見を取り入れようなどとは考えもしない。そのくらいの自己主張がなければ、さまざまな文化の集合体であるヨーロッパ自体が成り立たない。そういう背景のある人たちを説得するには、同じことを百万回繰り返しながら徐々に相手を説得するしかない。嫌がられても少しずつ情報を入れつづけてやれば、いずれ臨界点に達し彼らもこちらを理解してくれる。

たしかに「繰り返し」は有能な政治家が大衆を説得するときに使う手ではある。小泉はことあるごとに郵政改革!抵抗勢力!と繰り返していたし、クリントンもオバマもシンプルなメッセージを繰り返しながら世論を動かす名手である。

しかし個人相手に何度も使える手ではない。一度や二度なら先方も話のなかなか通じない外国人、しかも異様にしつこい外国人ということで、しぶしぶ折れてくれることもあるだろうが、毎度毎度となればさすがに話しさえ聞いてもらえなくなるだろう。

やはり欧米人に対する説得の基本は「よい質問(Good questions)」を投げかけることにある。

このケースでの「よい質問」は、蔵隅さんの考えを相手に押し付けるのではなく、相手に考えてもらうための質問、相手をうまく誘導するための質問となる。

たとえば、日本人はルノー車のCMのどこに「おフランス」を感じればよいのか?あなたたちはどのようにフランスの雰囲気を我々日本人に伝えてくれるのか?フランスの強みは何なのか?と質問を投げかけ相手に考えてもらうように誘導する。

蔵隅さんが長くヨーロッパに駐在している間に、このコミュニケーションのコツをなぜつかめなかったのかちょっと不思議な気もするが、逆に考えれば、対外国人とのコミュニケーションにおいてまだまだ伸び代(のびしろ)が隠されていて飛躍の余地があるという喜ばしい面もある。このように工夫や焦点の合わせ方を調整するだけで、単語や文法の英語力はそのままでも、コミュニケーション能力をインスタントに2割り増しにできる事例でもある。蔵隅さんだけでなく誰にでも隠れた伸び代はあると思う。調整しだいでコミュニケーション能力は2割り増し。

ということで Ask Good Questions!


ハイエンドの英語の話ばかりしてもあまり役に立たないかもしれないから、ローエンドの方も見てみよう。

これは渡辺謙さんが英語でインタビューをうけているビデオで、参考にすべき点が多々見うけられ、ローエンドといってもそのくくりの中では最高レベルといえる。
APA interview with Ken Watanabe 2007
http://www.youtube.com/watch?v=LFZK4OuhfXs

ブロークンな表現あり、洗練された表現あり、玉石混ざっているのがローエンドの特徴で、渡辺さんの話にもその特徴があらわれている。その一方で、さすがに役者さんだからか、話の速度、フレーズの区切り方、声の高低はとても洗練されている。特に、見どころは2分52秒からの一文。


I realized finally [that] this movie gave me the opportunity to express the emotion that I had hidden in my struggle with illness, leukemia.
(白血病と闘っていたときから胸にしまい込んでいた思いを、この映画のおかげで表現できるんだと気づいたのです。)


ローエンドでは、ふつう短文や不完全なフレーズをペタペタ並べながら意思を伝えようとする人が多いのだが、渡辺謙さんの場合は、すでにそこから抜け出し次のレベルへ向かうとっかかりもつかんでいるようだ。最後の太字の部分を、話の流れの中でつなぎ合わせていくことは、簡単そうだがなかなかリアルタイムではできない。

しかも渡辺さんの話し方が上手で、区切ってもOKな箇所でちゃんとポーズが入っているから楽に聞ける。そのことは同時に渡辺さんが事前に考えた文をただ読み上げているのではなく、リアルタイムでちゃんと考えながら話している証拠でもある。
前回のポストでトヨタの稲葉さんをキャパのある人と書いたが、同等のキャパのありそうな人をYoutubeからピックアップするとこの三人が該当する。

大前研一
古森義久
岡田達雄

中でも大前さんは英語で講演をしながら、オーディエンスがあきないように適度に刺激的な言葉を使ってみたり、話術にまで目配りする余裕がある。それだけキャパがあるということだ。

この三者については他の人よりどこが優れているのかそのうち説明してみたいと思うが、一点だけ、エモーショナルな背景なしに、ドリルや参考書を手順どおりにこなすだけではこの人たちのように「突き抜けて」しまうことはできないと指摘しておきたい。

たとえば、ネイティブとのやり取りで感じる「もどかしさ」、英語コミュニケーションにつきまとう「うっとうしさ」から、彼らは開放されたくてしかたなかったはずだ。そういう強烈な欲求があればこそ、なぜうまくいかないのか、何をどうすればいいのかを問い続け、正体のつかみにくいモヤモヤした障害をついに特定し、自分なりの解決策を実践し成果をあげ、山を一つまた一つと越えてきたにちがいない。本人たちが口に出さなくても、彼らの英語には必ずそういう裏打ちがある。絶対にある。

だから外国人とのコミュニケーションに関して、トラウマになるほどの大失敗、みじめな体験、イライラやもどかしさなどぬぐい去れない記憶があって、それを乗り越えざるをえない強い欲求を内に秘めている人はとてもラッキーだといえる。残念ながら普通の人にはそれがないからこの三人のようにはなれない。英検、Toeicで満足し目的を失ってしまうのもそのためだ。


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Author:soudenjapan
soudenjapan、45歳、コンサルタント。やっと英語が楽になり20年かかって英語を握ったと感じる。と思ったのもつかの間、そこには広大な未知の領域が残っているようだ。

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