父が74歳でこの世を去って一年が過ぎた。先日、元プロレスラーのラッシャー木村さんが誤嚥性の肺炎で亡くなられたが、父も同じだった。

誤嚥(ごえん)とは、老化や脳の障害でのどの動きが鈍くなり食物と唾液が気管から肺へと入り込む現象で、それが炎症を引き起こし肺へと広がると誤嚥性肺炎となる。

検査や治療方法の整った今日であれば、肺炎なんか簡単に治せると考えがちだがそうはいかない。
肺炎は二、三度なら抗生物質で簡単に治るが、それを繰り返すうち耐性菌ができ最後は抗生物質が効かなくなり炎症を抑えられなくなってしまう。医療の発達した今日においても、お年寄りが肺炎でコロコロ亡くなるのはそういう事情があるからだ。うちの父の場合は、浴室で転倒し脳挫傷、寝たきりとなり、それから約3年、最後は唾液を飲み込めなくなり、肺炎をくりかえすようになって半年後、帰らぬ人となった。

会葬御礼の挨拶

さて、ここからが本題。べつに医療の話がしたいわけではない。なぜこの話を持ち出したかというと、父の葬儀の席で親族代表としてボクが会葬御礼の挨拶をしたわけだか、そのときに学んだことを書いておきたかったからだ。

学んだというと大げさに聞こえるが、ボクは人前で話をするコツをそのときにつかんだのだと思う。

そのコツとはシンプルではある。新しくもない。自分しか知らない話を、それを知りたがっている人たちに、臨場感が伝わるように話せばいい。鮮明に伝えられれば伝えられるほど聞き手をひきつけられる。ただそれだけ。当たり前のようだが、ボクがそれを体感できたのは葬儀場で挨拶をしたときだった。

そのときの話の様子をもう少しくわしく書いておこう。まず浴室での事故から三年間の経過を簡単に説明してから、一番のハイライトである最後の一日の様子を語りはじめた。以下、その一部を再現してみる。

◇ ◇ ◇



「ああ、どうもこんにちは。院長の荒木です」

白衣姿の男性が、ついでに立ち寄ったという感じでふらりと病室に入ってこられました。まだ若い先生で年は40前くらい、小柄でやせ型、小ぶりの眼鏡にボウボウ頭。およそ院長という貫禄はありませんでしたが、名札には確かに院長と書いてありました。

ごく簡単に父の状態をチックした後、ベッドのわきに立っていたボクと横並びになり、院長先生はこう切り出されました。

「御父様は肺炎の末期です」

治療を担当していた内科の先生からは「もしかすると終わりの始まりかもしれない」とは言われてましたが、ボクはそこまで状況が切迫しているとは思っていなかったので動揺をかくせませんでした。

「しかし先生、ここの数値に改善が見られるようならまだ望みの余地はあるんでしょ?」

「その数値はもう忘れてください」

即答でした。

「いや、しかし・・・」

「数値はもはや関係ないんです。御父様の今の状態は、もしかするとこの数値よりいいのかもしれません。しかし仮にそうであったとしても、もうダメなんです。患者さんの状態は数値で見るよりも、目の前にある姿で判断するのが一番正確にわかります」

落ち着きのあるやわらかな、医者らしい声色でした。

「これを見てください。あごだけで呼吸されてるでしょ。これが肺炎末期の典型的な姿です。こうなると一日もちません」

「・・・・」

「・・・・」

しばしの無言のあとこうたずねました。

「先生、明日の朝までもちますか?福山から叔母が来ることになってます」

「朝まではもたないでしょう」

「・・・・」

「・・・・」

動揺していたボクは大きく深呼吸して最後にお礼をいうので精一杯でした。

「先生、いろいろとお世話になりました」

「いえ」

うつむき加減に小さく首をふって、荒木院長は部屋をあとにされました。


「ああ、そうか。あれが最後だったんだ」

呼吸が弱まりはじめていた父の顔を下に見ながら、荒木院長が来られる少し前に婦長さんが父の様子をチェックしに来られたことを思い出しました。

ボクが状態をたずねると、

「よくはないですね」

そう言い残して婦長さんは部屋を出て行かれました。そのときは気づきませんでしたが、それが最後の確認だったわけです。そしてすべての報告を受けた上で院長がお出ましになったのですから、もはやわずかな望みも残されていないことは明らかでした。

すぐさま家族みんなに連絡を入れました。

「もしもし。もうダメだから。院長先生にそう言われたから」

「覚悟はできている」

みなそう言ってました。

父が旅立っていたったのはそれから約15時間後でした。午前4時42分、呼吸停止。心臓停止。最後は母に看取られながら、父は静かに74年の生涯に幕を下ろしました。

◇ ◇ ◇




このくだりを話しているときは、会場全体が静まり返って、みんな息をしてないじゃないかと思えるくらいだった。だれもピクリともしない。5秒の間をとっても大丈夫。その場の全員が次に出てくる一言をじっと待っているという感じだった。長い間(ま)をおくと聴衆は次に出てくる言葉にひきつけられる。テクニックとしては知ってたけれども、その効果をひしひしと体感できたのはこのときがはじめてだった。

この部分はそれまで家族にも話してなかった病院でのやり取りで、しかも自分たちがよく知る人の人生最後の一日の話でもあり、さらには会場の独特の雰囲気があいまって、みな食い入るように聞き入っても当然といえば当然だった。けれども人前で話をする一番のコツは、間違いなくこの経験の中にあると思う。




「大前研一ライブ」より
『日本国債デフォルトの可能性とその対策』(PC用動画6分間)
http://k.d.combzmail.jp/t/gxe6/90ha59w0mgxaz9e4zn

ビデオの要旨

ヘッジファンド等が日本デフォルトを前提とした商品を出し始め、いよいよデフォルトが現実味をおびはじめた。

何が起こるのか?

日本の場合、国債のデフォルトが起こると手をつけられない状態になる。銀行、生保、郵貯の裏はすべて国債、表は国民の預金で、表と裏がつながっており、国家も民間も国民預金も破綻するときはすべて同時に一挙に行く。前代未聞の状態になる。

ゆえにペイオフなどありえない。

国民の預金はすべて凍結(預金封鎖)。半分は召し上げ。

国家予算は半減。

消費税はいきなり20パーセント越え。

公務員半減。教員の給与半減。

ゼネストがおこり社会機能ストップ、国の中は騒然となる。

ギリシャ程度の規模で政府は機能しなくなっている。日本の場合くらべものにならない規模。

(ビデオの要旨ここまで)


******************

最近よく聞く俗説に、

日本は外国とちがって海外には借金はないのだから大丈夫(すなわち信用不安は起こらないし、外から売り浴びせられて債務不履行(デフォルト)に陥ることもない)

という話があるが、大前研一氏のほかのビデオによると、

実は海外の投資家も40数兆円ほど日本の国債を所有しており、信用不安からこの40兆円を売り浴びせられれば、突然、日本の国債が暴落する可能性は十分にあるそうだ。これまで国債のほとんどを引き受けてきた銀行、生保、郵貯も国債を抱えていられなくなるからだ。

この点も上のビデオとあわせて考慮し、いつ何が起こってもおかしくはないという腹づもりが必要だ。

そもそもどうして日本の金融機関は大量の国債を抱えているのか。

バブル後の長引く景気低迷のおかげで時代は超低金利。金融機関は国債さえ買っておけば、その利ざやだけで十分稼ぐことができたから。

預金者には金利を払う必要がなく、国からは国債の利払い分が入ってくる。銀行は投資のリスクをとらず楽して稼ぐことができたわけだ。財務省も市場の資金を必要なだけ吸い上げることができ税収不足の穴を埋めることができた。そんな時代を背景とした特殊な経済構造があったために日本の金融機関は大量の国債を保有するにいたっている。

******************

スーパーマンはいないのか

バブル崩壊以前なら、現在のように深刻な問題に直面していても常に国家を信頼していられた。なぜならこの国にはスーパーマンがいたからだ。

スーパーマン?スーパーマンなんていたはずがない。今二十代の人たちは笑うだろう。しかし日ノ本にはたしかにスーパーマンがいたのである。

そのスーパーマンはこの国のどこかの高校を学年トップで卒業し、全国の成績優秀者たちと競い合い、勝利し、東大法学部へと進学する。そこで少数に絞り込まれた成績最優秀者たちとさらに競い合い、首席クラスとして勝ち抜いた人だけが大蔵省官僚となれた。官僚の中の官僚とよばれ、彼ら自身、大蔵以外は落ちこぼれ官僚といってはばからなかった人たちだ。真の勝ち抜き野郎たちといっていい。しかし競走はそこで終わらず、「真の勝ち抜き野郎」たちの中でさらに競い合い、勝利した者が最終的な勝ち抜き野郎として登場する。これがスーパーマン。日本国の国家財政の事実上の責任者、大蔵省主計局長その人である。

どんな複雑怪奇な問題でも解決できる人。世界でも最優秀クラスの知能を備えた人。それが主計局長。権威そのもの。下々のものにはうかがい知れない世界の住人。戦後の奇跡の経済成長を導いてきた人。

この国がどんな困難に直面しても、スーパーマンたちがなんとかしてくれるにちがいない。みなそう思っていた。少なくともボクは心のどこかでうっすらとそう信じていた。

ところがバブル崩壊後10年たっても国民経済は回復せず、だれも有効な解決策を処方できなかった。それからさらに10年がすぎ、もはやこの国にはみなが仰ぎ見る、頼れる権威は存在しない。東大・京大も、自民党も、そして、むかしは光り輝き、絶大なる威光を放っていた旧大蔵省もかつての権威をなくしてしまっている。もはや頼れる司令塔はない。

あのスーパーマンたちはどこへ行ってしまったのだろうか。

今後われわれが直面するであろう日本国の財政破綻・債務不履行について考えていたら、ふとこの国にスーパーマンがいたあの時代を思い出し、すこしセピア色しかけた懐かしい記憶がよみがえってきた。



上院でのトヨタ公聴会

前回は豊田章男社長が下院で証言し、今回は品質担当の副社長が上院の公聴会で証言した。さすがに上院議員ともなると各州の代表者なので、知名度と輝かしい実績のある人たちばかりで、公聴会の雰囲気自体も落ち着きがある感じだ。

Toyota Recall Hearing: Tom Questions Toyota Execs
http://www.youtube.com/watch?v=awW6r39KM-w

このビデオを見る限りではこの副社長さんの印象はよくない。トヨタの副社長ともなれば能力は抜群なのだろうが、事務的で、冷たい、やるきがない、目の焦点が定まらず信用できないなど外見(ボディーランゲージ)から伝わるメッセージがネガティブで、これでは「お客様第一」「収益よりも安全優先」のメッセージは伝わらない。

パブリック・スピーキングの鉄則の一つに、言葉とボディーランゲージに齟齬(そご)がある場合、人は必ずボディーランゲージを信用するという大原則がある。わかりやすい例をあげれば、ある人が人前にでて、緊張のあまり目はうつろ、声は震え、自信なさそうに小声で「リラックスしてます」「最高の気分です」と言っても誰もその言葉を信じはしまい。メッセージとボディーランゲージとが食い違っているからだ。

この点では豊田社長のパフォーマンスほうが優れていたし、安全性、顧客の声をもっと重視していくという態度があらわれていた。


やっとトヨタ車問題の核心部分が出てきたようだ。コンピュータ・チップのプログラムに備わる欠陥を見つけた専門家がいるそうで、どうやらフェールセーフ・システム自体に欠陥があって、せっかくの二重安全システムが機能しないケースがあるらしい。詳しくはリンク先の英文記事を参照してほしい。

ABC News: Expert says electronic design flaw to blame in runaway Toyota models

これはトヨタにとっても悪いニュースではない。問題の核心さえ修正されればトヨタ車への信頼はまた戻ってくるからだ。

次のリンク先の記事によると、ウェブ上の話題、特にソーシャルメディアにおけるトヨタ関連の書き込みを分析してみると、面白いことに今回の騒動はトヨタにとって必ずしもマイナスになっていないそうだ。

Could the Toyota Recall Crisis be Helping the Brand?
http://mashable.com/2010/02/22/toyota-brand/

もちろん悪い書き込みは多いのだけれども、同時に中立的な書き込みとトヨタ支持の書き込みも増加しており、全体としてはパブリシティが増大した分、トヨタにとってプラスになっていると分析されている。今は売り上げが落ち込んでも、トヨタ車のバーゲンセールを狙っている消費者も多いと考えられ、欠陥の核心さえ修正されればトヨタ車の売り上げはいずれ回復すると予想されている。

連邦議会公聴会でのやりとりなど2ヶ月もすれば、どうせ誰も覚えてなどいないのだから、どうでもいいといえばどうでもいい。それよりも、はやくソフトウェアの欠陥を認め、修正し、謝罪し、この問題にケリをつけるほうがいい。

これは2007年のモーターショーでのインタビューなので社長になられる前のビデオだが、

Tokyo Motor Show 2007 Interview Akio Toyoda, Toyota
http://www.youtube.com/watch?v=Bzqf0pc-Ots

このビデオから伝わってくる豊田章男さんの印象は、悪くはないがたいして良くもない。才気にあふれていたり、如才のなさが伝わってくるわけではない。どちらかというとのんびりとしたボンボン系で、意味のない馬鹿笑いをする子分がついていそうな感じだ。もちろん実際の豊田さんは、あの大トヨタの社長に選出された人だから並みの人物ではないはずだ。

しかしそれでもなお、アメリカ連邦議会で証言を求められるような企業人といえば、われわれ大衆とは違って、あふれる才能が外見にまで表れたような人物で、立て板に水、理屈を美しいほどに操れる人が多いから、それに比べると豊田社長はじゃっかん見劣りするように思う。

失敬な話であることは百も承知だか、悪いことばかりではない。才気キラキラで大企業の重役然とした人物はワシントンやニューヨークのエリートにはうけがいいが、その重役を自分たちとは別世界の人物と感じる一般大衆には好かれない。豊田社長はそういう人物の一人であると見なされないほうがトヨタにとっては都合がいい。

では公聴会の席で豊田社長は何を語るべきか。

一言でいえば苦労話。トヨタがアメリカに進出したころの苦労。日本車といえば安かろう悪かろうでバカにされていたころの話。誰にも相手にされない中、少数ながら自分たちを支援してくれたアメリカ人もいた話。うれしかった話、悲しかった話。努力を重ね少しずつ少しずつ信用評価を得ていった話。ケンタッキー州ジョージタウンに初めて工場を建てたさいの苦労話。消費者、従業員、取引先への感謝。創業者の孫にしか語れない話。豊田家の子供という理由でいじめられた話。祖父や父親の涙なくしては語れない苦労を背中越しに見てきた話。

物語は人の心に残る。理屈はすぐに忘れられてしまう。訴訟を恐れるがあまり不誠実な応答を繰り返すより、authenticで genuineな苦労話、車への思い入れをポツポツと語るほうが移民の国の民の心を打つ。トヨタを信用しようという気にさせる。

Powered By FC2 Blog. copyright © 2017 国際討論日記FC2 all rights reserved.
プロフィール

soudenjapan

Author:soudenjapan
soudenjapan、45歳、コンサルタント。やっと英語が楽になり20年かかって英語を握ったと感じる。と思ったのもつかの間、そこには広大な未知の領域が残っているようだ。

最新記事
最新コメント

月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム

RSSリンクの表示
リンク